頭の重さはボーリングのボールと同様

今日のクライアントさんは、首が痛む人が連続しました。
その影響を受けたのかはわかりませんが、私自身も、朝は何とも感じなかったのですが、次第に首がうっとおしくなり重たいようなだるいような落ち着かない感じになってきてしまって、それは夜になった今も続いています。

僕は小学生のときに、馬乗りという遊びをしていて、かなり乱暴に潰されたときに首を強く捻挫したことがあります。その直後は首を全く動かせないほどでしたが、病院にも行かず自然に治りましたが、それ以来、首にちょっと負担をかけると重だるくなるようになりました。

ですから首が思い痛むという人の言うことは、実感としてわかります。首に不調があるというのは、それほど痛みはなくともかなりうっとおしく不快なものです(首に限らないかも知れませんが)。

大人の頭の重さは約6キログラム。これはボーリングのボールと同じくらいです。
この重たい頭をさほど太くもない首で支えているだけでなく、頭を前後左右回転とかなり自由に動かしている首ですから、ちょっと無理な動かし方をしたりすると調子が狂ってしまっても当然のような気がします。

首痛や肩こり、背中の上部の張りや痛みに悩んでいる人は、何気なく立っているときでも、やや下を向いていたり、猫背で背中が丸まっていたすることが多いような感じがします。

それと多いのは、枕が高すぎたり、柔らかすぎて睡眠中の頭が不安定だったり、逆に低すぎる場合もあるようです。
朝起きて、首や肩が凝っていたり痛かったしたら、枕が合ってない可能性があります。

パソコンを長時間使うのも、首を傷める原因になります。集中するとつい1時間2時間とパソコンを見続け操作し続けることがあると思いますが、これは目だけでなく首や肩にも相当な負担になります。理想的には15分パソコンを使ったら30秒程度は目を休ませ、椅子から立ち上がって体をほぐすと、だいぶ疲れ方が軽くなると思います。

首をグルグル360度大きく回すのも頚椎(首の骨)や筋肉に余計な負担をかけることになるので、やらない方がいいと思います。頚椎は360廻るようにはできていませんし、首を支え動かす筋肉も360度回すことに対応する構造にはなっていないからです。

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インフルエンザが流行していますが…

世界的に感染が広がっている新型インフルエンザ(H1N1型)のことが、頻繁にニュースに出てきています。ワクチンが足りないとか接種方法をどうするだとか厚生労働省や医療関係者が騒いでいるようです。

新型インフルエンザ自体では 37人の方が亡くなったようです。
7月以降の推定感染者数は431万人ですから、11万6千人に1人の計算になります。


毎年冬場に流行する季節性インフルエンザは、毎年1000万人くらいが感染し、直接の原因だけでも200人~2000くらいの人が亡くなっています。間接的な原因になる場合も含めると、1万人くらいがインフルエンザで亡くなっています。

季節性インフルエンザは、間接的で1000人にひとり、直接でも5000人にひとりの計算になります。
つまり、新型インフルエンザの20倍の確率で亡くなっているということになります。

どちらが、より危険かはっきりしています。2~3倍の死亡率ではなく20倍!です。


ワクチンには必ず副作用があります。
唯一の対抗策がワクチンだと思われていますが、これによる副反応で、死亡したり重病を発症する例が欧米で相次いでおり、市民団体や医療関係者が「ワクチン接種の危険性」を呼びかける広報活動やデモを起こしています。

新型インフルエンザのワクチンには、もともとギランバレー症候群や筋萎縮症、不妊症や脳神経系の病気などを発症させる副反応が認められているそうです。


一番安全で確実なインフルエンザ対応策は、健康管理に気をつけて、疲労をためず体力をつけておき、かかったかな?と思ったら十分に休養を取ることだと思います。かるく感染し良好に経過すれば、それが自然免疫になるので副作用もなく、一番安全な対応策になることは覚えておいてください。

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頭骨と頚椎の調整で首痛が劇的に改善!

今日来院されたクライアントさん(女性)は、腰痛が主訴(主な症状)でした。
施術は今日で2度目。

1度目でまっすぐ立って歩けるようになり、痛みはまだあるもののかなり軽くなったとのことでした。

首も動かすと痛み、腰が楽になったので、首の辛さを感じるようになったとのことで、
首の施術も行いました。

定番でやっている首の筋肉を緩める手技を施しましたが、ある程度楽になったものの、まだ動かすと痛みはあるとのことで、別の方法を考えました。

頚椎と頭蓋骨に歪みが感じられ、頚椎と後頭骨のつながりも真っ直ぐでないように感じました。
首の付け根にある頚椎の7番が通常よりかなり盛り上がっていて、小さなこぶのような感じで固まっていました。
これはおそらく下部頚椎の間隔がつまっているためと思いそう伝えると「以前レントゲンを撮ったときにそのようなことを言われた記憶がある」とのことでした。

そこで、最初に頚椎の調整を行なおうと思いましたが、頭部歪み先に改善したらどうなるだろうかと考え、後頭骨と側頭骨の位置を調整し、左右対称になるように調整してみました。
首の状態を聞くと「かなり軽くなりました。さっきよりスムーズに動かせるようになりました。でも、首を動かすとまだ痛みます」とのとこだったので、頚椎7番の調整をしました。

首の状態を聞くと「今までになかったほど軽く感じられます。動かしてもほとんど痛みはありません。少しだけ違和感があるくらいです」とのことでした。

調整といっても、頭部と頸部(首)は脳とそこから出ている神経が集まっている体の司令塔のような部分で、とても繊細にできています。力で動かそうとするのは危険が伴うと思ってますので、エネルギー療法(気功のような方法)で行いました。

ある程度は痛みや重さが軽くなり、動きもスムーズになると期待して行ないましたが、クライアントさんがびっくりするほどの効果が出るとは予想してませんでした。

体は全身がつながっていて、60~100兆個!もの数の細胞同士が情報伝達を行ない連携しているので、不調が現れている部分を全て調整しなくても、ポイントを外さなければ、ちょっとした刺激で劇的に改善することもあるのだと、自分でも少々驚いています。本当は、クライアントさんの前で施術者が自分の施術効果に驚いてはいけないと思わなくもないのですが…(苦笑)

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チャクラセミナーに参加してきました

文化の日に臨時休業して、チャクラセミナーに参加してきました。

チャクラといっても知らない人もいるかも知れませんので、簡単に説明しますと…

人の体には生体エネルギーが流れています。一番大きな流れは背骨に沿ってあります。
チャクラとは、このライン上にあるエネルギーの集積ポイントの渦のことです。
体の中心にある背骨から体の前面と後面に向かって、それぞれラッパ状の渦になって外部へと開かれています。
この生体エネルギーの渦は、生体エネルギーの増減に従って、渦の大きさと回転の速さを変化させると言われています。チャクラの状態は、生体のエネルギーの状態を表していると言われています。

と書いてもあまりよくわからないと思いますが、どうやら我々生命体は、食物や空気(酸素)以外にも、外界とエネルギー交換を行なっており、それを生命エネルギー(「気」と言ってもいいと思います)と呼ぶらしいのです。その出入り口が「チャクラ」なのではないでしょうか?自分でもよくわかってませんが(苦笑)

インドなどへ行ったことがある関係からか、「チャクラ」という言葉は昔から知ってはいました。
でも、それは観念上のもので、実際にそれがあるとは思ってませんでした。

それが先日のセミナーで、(主なものは)7つあると言われたとおりの場所(体表)のちょっと上に、明らかに他の空間とは違う熱と気配(空気密度の違いのようなもの)を感じたのです。

それが弱っているチャクラを開き活性化することで、心身の状態を整え活性化できるとのことですが、まだすぐにチャクラを施術で使えるほど理解したわけではありません。

もっと勉強していったら、施術でご披露することができるかも知れませんが、実際にやっている光景をちょっと引いて客観的に見ると、何やら怪しげな新興宗教の儀式のように見えるので、どうしようか思案しているところです(笑)

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症状が出ないと回復しづらい

かなり酷い肩こり、背中の張りなどがあっても、自覚症状が無い方は結構います。

そんな方でも、固くなった肩をゆるめてあげると、楽になったことは実感できることが多いようです。

だから、痛みやコリなどの症状が無いことと、症状を感じないこととは、イコールではありません。

症状があっても(体の機能に問題が起こっていても)、それを自覚できない人が、自然に回復することはかなり難しいと思います。

なぜなら、自覚がないと体がその不具合を調整したり修復しようとする作用が働きにくくなっているからです。

むしろはっきりと痛みなどの症状を感じる人のほうが、回復が確実で早いという場合が多いような感じがします。

例えば、低温火傷というのを聞いたことがあると思いますが、これは懐炉(カイロ)や湯たんぽなどそれほど高温にならないものを長時間皮膚に当てておいたときに生じる火傷ですが、温かいと感じても熱いとは感じてないので、火傷するまで放置されるから生じるのです。

低温火傷の方が高温で火傷したときより治りがかなり遅いようです。なぜなら、低温なので、皮膚表面はそれほどダメージを受けないのですが、長時間体温より高いものに接するため、熱が体の深部にまで到達するのです。だから短期間で表面では一見治ったように見えても、皮膚の深い部分で破壊された細胞が修復してないのです。

それと同様のメカニズムで、軽めのコリや痛み程度でも長期間放置しておくと、次第に深部にまで浸透し、骨格まで影響を受け、さらには内臓機能にまで影響が及ぶということもあり得ます。

東洋医学には「未病」という概念がありますが、はっきりとした症状が出て病名が付く以前の不調の段階(レベル)という感じの状態です。

この「未病」の段階で体を調整し原因となっている生活習慣などを改善しておけば、本物の病気になるのを食い止めることができます。

天ぷらをあげていて油に火が移ったとします。この段階では、まだ火事とは言えません。小火(ぼや)ですらない状態です。でも、この程度なら大したことはないとほおっておけば、どうなるでしょうか?鍋が熱くなりガスコンロの周りの壁にも熱が伝わり、しばらくすれば家本体に火が燃え移ることは確実です。

体もこれと同じです。まだたいしたことはない、この程度ならどおってことないとほおっておけば、ちょっとした不調が本物の病気になり、体の機能が制限され、やがて体の組織そのものが壊れていくのです。

ただし、体は物ではありません。壊れたところを自分で修復する自己治癒力という力を持っています。だから少々の不調なら、休息し睡眠と十分にとり、栄養補給すれば回復するのです。

それでも回復しない不調であれば、体を調整する専門家に任せたほうがいいと思います。本物の病気にならないために。

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見栄え優先志向が農薬まみれのまずい野菜をはびこらせている

多少の農薬は大量生産するには必要なのかも知れませんが、安全性はもちろんのこと、味だけを見ても、土壌が豊かな有機栽培、低農薬で育てた野菜は、味がいいものです。先日かぼちゃを食べ比べてみました。スーパーで4分の1カットで売られていた120~130円ほどのものと、安全税が高い農薬を最小限使っただけの土壌が肥えた畑でとれた170~180円のものは、はっきり味に差がありました。有機栽培に近い方のかぼちゃは、軽く醤油と味りんで煮た程度でも、ほくほくとして甘みとコクがありとても美味しかったのですが、安い方のは、味が薄く食感もサクッとした感じで、高いものと同じ味付けだと、まったく美味しいとは感じられませんでした。調味料を大目に使い、味を濃くしないと美味しいとは感じられなったのです。当然塩分などの取りすぎにつながります。


■農薬が掛かったばかりのものがすぐ店頭に並びます

「トマト・きゅうり」は、夏の盛りの「露地物(ろじもの)」は却って「農薬」が多いのです。雨が降ると病気が出やすくなるからです。毎日雨が降れば、毎日「農薬」を撒かざるを得ません。ハウス栽培でも、実っている時に「農薬」を撒くことには変わりないのです。非常に恐ろしいことは、夕方に「トマト・きゅうり」に農薬散布し、翌朝にその「農薬」のかかったものを出荷することです。従って「農薬」がかけられたばかりの「トマト・きゅうり」が、すぐ店頭に並びます。
 
■食べた虫が死ぬ野菜を人間が食べています

「農薬」には、浸透移行性や残効性が高いものが多いのです。浸透移行性とは、「農薬」が根・葉から内部に浸透し、その植物を食べた昆虫が死ぬことを言います。ですので洗っても落ちない「怖い農薬」です。残効性とは、効果が持続して消えてなくならないことです。野菜にある程度「農薬」は必要と言っても、実態を知ると怖いものです。大方の農家が、自分達が食べる農薬が少ない野菜と、商売にする農薬がたっぷり掛かった物を分けて育てているのです。ですので軽く水洗い程度ではなく、ごしごしと洗い流す必要があります。それでも 、多少「残留農薬」が落とせる程度なのです。
 
■わざわざまずいトマトやきゅうりを選ぶ消費者

「きゅうり」は、残念なことにブルームレス・キュウリが主流になってしまいした。ブルームとは、「きゅうり」が水分の蒸発を防ぎ、自分を守るために出す白い粉の“バリア”です。しかし売り場ではご存じない方が増え、「農薬」と間違えられ買わないのです。そのため、ツヤツヤしてゴムのような鮮やかな緑色をした“見栄えのいい品種”に取って代わられてしまいました。大量に残留した硝酸性窒素により、濃い緑になるのです。ブルームがない「きゅうり」は、果実を守るため皮が厚くなり、食感が悪いのです。消費者が、見掛けのよいブルームレスのまずいものばかりを買うので、“おいしいきゅうり”が消えてしまったのです。
 
■生産者・消費者の身勝手がトマト・きゅうりをまずくさせた
最近の「トマト」は、桃太郎という品種です。これも昔の「トマト」の甘すっぱさが嫌われ、品種改悪?の結果です。また生産者側の論理で、日持ちする「トマト」に改変され、桃太郎に全国統一されてしまったのです。そのため本来のおいしさが消え、“味が薄い”ものが主流になってしまいました。もう1つ気になるのが、「トマト」の受粉に蜂を使う代わりに、「ホルモン剤」を使うことに疑問を感じます。何れにしても消費者は、これから一生、まずくて不健全な「トマト」を食べさせられることになってしまったのです。

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物理学とシャーマニズムの関係

理論物理学者がシャーマンとの交流を描いた本を読んだことがあります。
(「聖なる量子力学 9つの旅」フレッド・アラン・ウルフ著1999年日本語版発行)

素人レベルの科学や医学知識や常識では、理解できないことが沢山ありました。

常識ではちょっと信じられない神秘主義の本に書かれているようなことでも、量子力学の常識に照らせば、不思議でも何でもないことがあるようです。

例えば…

●観測対象の物理的性質は、観測という積極的な関与の結果として生じる。

●観測によって、無数にあった選択肢のうちの一つが選ばれ、それが我々が「現実」の世界と見なすものの役割を演じている。

●電子を粒子とするか波動とするかを決めるのは、我々であり、我々が結果を認識しない限り、粒子なり波動なりとしての電子が実在しているとはいえない。

●我々が見ている世界は、我々の認識の構造なのだ。現実は観測する我々の内側に存在するのだ。

●我々が自らに課した以外の限定(限界)は、存在しない。

●物体は、それを知覚する意識が存在しない限り、それ自体として存在することはできない。

●何かを知覚することと、それが宇宙に存在していることは、同じなのだ。

●意識と物質世界とはつながっている。

●自我が成立する前の、自然と自己とが渾然一体となっていた原始的な状態では、永遠の現在だけがある。

●可能な過去、可能な未来の全てが、それぞれの世界で実現している。

●どの世界を経験するかは、そのときそのときの、あなた自身の選択によって決まる。

●見方によって、過去が変わる。

●過去を変えるには、意味を変えればいい。意味とは、事物の中に我々が読み取る因果関係のことだ。

●日常生活の中では、様々な出来事が起こるが、これらは単独では意味を持たない。

●因果律(こうやったら、こうなる)は、事物そのものに備わっている客観的なものではなく、事物を見た我々自身が、勝手にその背後に読み取っている物語に過ぎない。

●シャーマンの治療は、患者の過去の個人的な事件に意味を見出すことによって行われる。

●脳に入ってきた膨大な情報のうち、意識されるのは1%にも満たない。

●現実の見方を変えると、現実自体が変わる。

●どんな現実を経験するかは、その人が世界を見る見方に影響される。

●我々が日常的に経験する現実のどんな些細な要素も、社会的に同意された描写を基礎にしている。

●我々が知っている現実は、無数に存在する世界の描写の仕方の一つに過ぎない。

●我々は特定の方法で世界を見るように教育されている。

●我々は世界の見方という「地図」(常識、世界観)と現実を混同するあまり、「地図」に載っていないことが発生すると、自分の認識の方が間違っているのか、あるいは、トリックがあるのだとして、斥けてしまう。

●名前のついていないもの、馴染みの薄いものを体験することは、非常に難しい。

我々は、信じているものしか見えないということのようです。

さらに、流行した?「引き寄せの法則」と同じことも(シャーマンの言葉として)書かれています。

●自分の能力の限界は、自分で選べる。

●宇宙の喜びは、我々の役に立ち、我々の願いを実現することにある。

●物質は欲望から生じる。

●何かを想像することから、形態の創造が始まる。そこには、意図と、その意図を実行するために必要ないっさいの動きの萌芽が含まれている。

●あなたが欲するものは、あなたの欲望の強さに応じて引き寄せられてくる。

●強く望めば、早く実現し、いい加減な気持ちでいれば、いつまでたっても手に届かない。

●問題は、欲望に関していえることが、そのまま恐怖にも当てはまってしまうことだ。好ましくない結果を実現してしまったらという心配や危惧が、あなたを取り巻く宇宙に働きかけ、それを現実に招き寄せてしまう。

●宇宙はあなたの願いの是非を判断しない。自分を駄目にしたいと思ったら、そうなるように全力を尽くしてしまうのだ。

●何が何でも望みを実現する覚悟でいる(と本人は思っていても)のに、どうしてもうまくいかない人がいるとしたら、それは本人が心底では、失敗を望んでいるからだ。

●自分の前に立ちはだかる強大な敵対者として宇宙(世界)を理解(認識)している人に対しては、宇宙は実際に敵に回る。

などです。

これを物理学者が書いているというのが信憑性を高めますね。

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生きる原動力になるもの

生きる、ということは、不満や欲求を満たすために行動を起こし、満足、充足感とまだ満たされない感じ(欲求不満)の状態を繰り返していくという言い方もできると思います。

生きている限り、永続する悟りの境地というような完全な満足はない、と思った方が生き易い、少なくとも気楽に生きられるのではないでしょうか?

悪口や批判ばかり言っているような人が、悟ったようになり、やたら感謝するようになったら、
死期が近くなってきた証拠だという話を聞いたことがあります。美人薄命、善人は早死にするという俗諺がありますが、本当かも知れません。欲求不満度と命のボルテージ(生命力)の高さは比例するという言い方もできます。いい人というのは、生命力が弱いという言い方ができるかも知れません。


満たされない気持ちがあるのは、元気で生命力が強い証拠と肯定的に考えてはいかがでしょうか?その土台には、性的な欲求が隠れているといいます。性欲と生存欲は、切っても切れない関係にあるからでしょう。

あまりに理想的な環境や状況に生きる(住む)と、ぽっくり死んでしまうことがあると言います。
満足し切ったらアブナイ。気をつけたほうがいいようです。

生命力が活発な状態には、不完全さが不可欠です。動くには、活動するには、いったんバランスを崩す必要があります。

不完全さを埋める行為が生きるということの本質なのかも知れません。

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心身一如を実感した出来事

10回位通院されていた男性の方がいました。

症状は、背中から腰にかけての張りと痛み。左膝から足首にかけてのしびれと張り、痛み。
肩こりや他にも部分的に違和感があるとのことでした。

長年続けてきた仕事を今年の春頃辞めたとのことでしたが、原因はうつ状態で仕事をする気力がなくなったとのことと記憶していますが、あまり深く聞きませんでした。

毎回、施術後にはある程度は楽になるのですが、数日後に来院されると症状の戻りと骨格の歪みが必ずあるという経過を繰り返していました。

それでも、完全に痛みや張り、違和感は消えてないものの、部分的には完全に解消した症状や部位もあり、じょじょに快方に向かっていました。

もうかなりいい状態だと判断したある日、「体調は結構良くなっているようですが、気持ちの部分はどうですか?」とお聞きした。

「最初ここに来たときは、買物や掃除などをするのも必要だからやっとのことやってる状態で、外へ出て歩くのもしんどかったが、今は先生が勧めた散歩や足湯もするようになり、今度は骨盤調整の体操もやってみようかという気になってきました」というようなお返事をいただいた。

体が楽になったと言われるのももちろんうれしいですが、心が不安定で気持ちが落ち込み、気力が萎えていた人が、施術をきっかけにして元気になって笑いも戻ってきたときは、さらにうれしいような気がしました。

「心身一如」とは整体などでよく言われてことですが「心と体の状態は関連しているという以上に密接であり、生命エネルギーが心と体という現れ方をしながらも、一つのものであること」」あらためて実感した出来事でした。

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人はそうカンタンにはわからない

そんなに何度も会ってないし、限られた話題しか話してないような人でも、僕のことをわかったように言う人がいます。

そんなときは、多少は理解してもらったのかなといううれしい気持ちもありますが、それ以上にこの人は僕の何を理解したのだろうかと感じます。

そのような人の多くが言うことは、「私は初対面で相手の本質的なことが直感でわかる。それが外れたことはない」「あの人は○○の性格だから、こうするに決まっている」というような感じのことです。

そのような人は、すぐに相手のことをわかるので、何度か話をした後では、僕のことをあまり聞かなくなります。自分の関心のあることだけを、かなり一方的に話して会話がおしまいになります。

ごく限られた状況で特定の話題を話すだけなら、ある程度の話をすれば、今度相手がどういうか程度のことはわかるのかも知れませんが、それで相手のことがわかったと言い切るのは早急に過ぎると思います。

長年一緒に生活してきた夫婦、結構長い間生活を共にした兄弟でさえ、ときに意外な側面を見せることがあると思います。

カンタンに相手のことをわかったと思い込むことは、それ以上相手のことを知る動機が無くなる、希薄になることは確かです。

人間は自分でも理解できないような感情や思い、矛盾した考えを持っているものです。そうカンタンにわかるものではないと思っています。

相手の顔を知っていて、趣味や好みのおおまかなことを知っていて、気軽に挨拶する程度の関係で、相手のことを理解しているというのは、かなり表面的な理解、ごく限られた一面を認識しているに過ぎないと思います。

人間はとても奥行きのある精神世界を持っている、少なくとも持てる可能性を秘めている生き物だと思っています。

クライアントさんについても、何度か話をして施術をした程度の関係でわかったようなことを言うと、症状が重く辛い思いをしている人ほど、反発されときに嫌悪感さえもたれることがあると感じています。

カンタンにわかったつもりにならない。これはクライアントさんと接し良い関係を作り、より効果的な施術を行なう上でも大切なことだと思っています。

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